去年のさまざまな映画賞で絶賛された音楽映画。
J.K.シモンズの怪演は見物。
この映画にとって、音楽やジャズは「テーマ」ではなく、あくまで「手段」
原題の"WHIPLASH" には、伏線も含めていろいろと意味があるのになぜ邦題は「セッション」にしたのか?
どう考えても宣伝の為にキャッチーにしたかっただけ。
日本版トレーラーはオリジナルのと比べると全然違う。
オリジナルはBGMもかなり控えめで、すごくシリアスで狂気を孕んだ雰囲気を出しているのがわかる。
日本版の予告の終わりあたりでそこまで重要なカットではないにも関わらず、
「ものすごくドラムを叩かされた後に「よし」「はじめから」とかいう場面」
がフォーカスされている。
実際には
"Neiman "
"K, we can start now"
「ニーマン」「よし、始めようか」
と言っているのに、翻訳もニュアンスを変えてスパルタ教師とそれについていく生徒というイメージを作り上げたいのが分かる。
それもこれも、きっと一般的にこの映画の中の師弟関係というのが日本では理解しづらいんだろうなと思う。
そもそも「師弟関係」などという日本の縦社会的な意識を持ってこの映画を観てはいけない。そこには、「弟子」には「個」という概念が存在しないのが常であるから。
立場は「教師と生徒」だが「師についていく弟子」ではなく、 あくまで「個」と「個」のぶつかり合い。 そこは欧米的である。
「才能 VS 狂気」なんて日本のオフィシャルサイトでは宣伝しているが、実際は「狂気 VS 狂気」の映画。
狂気に圧倒される映画。
ちなみに
DVDは発売中!